法界院(中国観音霊場第五番札所)へ行きました。

こんにちは、よしくんです。

先日、法界院(中国観音霊場第五番札所)へ行きました。

お寺の入り口にこのような看板があります。

看板のそばに駐車場があり、車を止めると目の前にのぼり口があります。

この道を上がって行きます。

このような道になります。

坂を上りきると、このような風景になります。

少し歩くとこのような、お堂があります。

お堂の前にこのような、掲示があります。法界院木造聖観音立像が安置されているそうです。

横には、本堂があります。

本堂の説明書です。

中国観音第五番に指定されています。

奥には、鐘があります。

本堂の横には,びんずる尊者縁起があります。

びんずる尊者の説明が記載されています。

本堂の南側には,厄除大師があります。

厄除大師の右側に高野山のお砂踏みの看板があります。

勿論、お寺にトイレもあります。

法界院の説明です

法界院(ほうかいいん)は岡山県岡山市北区に所在する真言宗の単立寺。山号は金剛山。詳しくは金剛山 遍照寺 法界院と号する。本尊は聖観世音菩薩。中国三十三観音霊場第五番札所、百八観音霊場第七番札所。

概要

伝承によれば、奈良時代前期の天平元年(729年)頃、報恩大師により備前四十八ヶ寺の一つとして開創されたと伝わる。開創当時は西谷山 妙塔寺と号し現在地より北方の笠井山の山麓に所在し、大伽藍を有していたと伝えられている。

戦国時代に伽藍を焼失した。その後、天正9年(1581年)現在地に移った。江戸時代初期に伝審(でんしん)和尚が中興し伽藍を整備した。また、岡山藩主i池田家の崇敬を受けた。本堂は江戸時代末期の安政2年(1855年)に建立された。山門は嘉永年間(1848-1854年)の建築である。江戸期の当寺院は「火事が年忌を問う」と言われ約100年ごとに火災に遭った。江戸期最後の大火は文久年間(1861年ー1864年)に起こり山門と中門を残して全て焼失し、その後、間もなく再建された。

JR津山線法界院駅は当院が駅名の由来である。

文化財

重要文化財(国指定)
  • 木造聖観世音菩薩立像:檜の一木造りで、聖徳太子作との伝承があるが、実際は平安時代中期の作品と考えられている。像高は103.7。脇仏として多聞天・持国天像があり共に聖観音と同時代の作と言われている。秘仏とされ33年に1度開帳が行われている。明治34年(1901)8月2日指定。
岡山市指定重要文化財
  • 道讃禅定門石灯篭:慶長3年(1598年)の銘が刻まれている。高さは222cmで豊島産凝灰石の石灯籠である     ウィキペディアより引用

住所:岡山県岡山市北区法界院6-1