祇園大樋(岡山市)へ行きました。

こんにちは、よしくんです。

先日、祇園大樋へ行きました。

祇園大樋とは(現地案内板です)

記載されている内容です

祇園大樋とは旭川下流の左岸平野をうるおす古田樋尻川用水、新田用水、後楽園用水の五双からなる分水樋門の総称である。各樋門はいづれも長大で、樋板をしめると内部には昼間でも光が届かず、真暗闇となるところから地獄樋とも呼ばれている。元禄5年(1692)、津田永忠が沖新田を開発したとき、灌漑用水の確保を図るために築造したものと推定されているが、五双の樋門はその後たびたび改修されながら今日に引き継がれていた。そのうち古田樋尻川用水の西樋の一部については築造以来まったく改修の手が加えられておらず、築造に当たった石工の技術水準の高さを示す堅牢・精緻な石普請のあとをよくとどめていた。このため、このたびの改修工事にあたって、その一部をここに移築、復元し、後世にこれを伝えるとともに、築造当時の土木技術・石工技術をしのぶよすがとなるものである。平成2年岡山地方振興局 岡山市教育委員会(現地案内板)

祇園大樋古田樋尻川用水西樋の規模と構造の現地案内板です

祇園大樋古田樋尻川用水西樋の規模と構造(上記の看板より)

西樋の規模

全長23.5m 幅1.1m 高さ0.8m

西樋の構造

樋門呑口(のみぐち)には花崗岩製の男柱3本をたて、それぞれ樋板溝を加工し、二板の樋板を挿入する構造であり呑口から奥行き12.5mまでは凝灰岩(豊島石)の角材(30cm角、長さ0.7~1.7m)を三段に積み重ねて側壁としていた。天井石及び床石はいづれも扁平な長方形の板石を並べていた。この部分は築造当時のものであるが、その奥から吐口までの側壁は自然石の三段積みで後世改修されたものであった。床石の下部は砂礫層の上に松丸太を井桁に組んで沈下を防止し、その上に厚い板を敷いて床石を並べ側壁を築き天井石を掛け、周囲は分厚い漆喰で固めて漏水を防止していた。側壁の凝灰岩は30cm角の切り石の小口面に凹凸の柄を刻みだして連結し、上下は直径2センチの小穴をうがち、樫材を埋めてくずれないよう固定していた。(現地案内板より)

現地の写真です。

よしくんまとめ

  • 祇園樋道は1692年当時の築造技術を残しており、よく理解できる

ですね ありがとうございました。

名称:祇園樋道

住所:〒703-8207 岡山県岡山市中区祇園598